AISとは


シドニーオリンピックでは、アメリカ、ロシア、中国に次ぎ総獲得メダル数が多かったオーストラリア。人口1900万人のこの国のトップスポーツを支えるAISとはどんなところなのか?

★AISの紹介文1(体育科教育2000年4月号、スポーツ記者の目・佐野慎輔)

(途中から)首都キャンベラの北西部に、約65ヘクタール、東京ドームの14倍にあたる広さを持つAISこそ、オーストラリアの選手育成、強化、スポーツ科学研究の総本山である。1981年に8900万豪ドル(当時のレートで約90億円)の費用をかけて設立された。いずれも国際規格にかなった陸上競技場、大小各種体育館、屋内プール、野球場、ラグビー場などの施設のほか、医学や心理学などスポーツ関連の専門科学者を集めた科学研究所が置かれている。宿泊施設も完備し、22競技に毎年600人以上の選手が奨学金を得ながら、ここでトレーニングに励んでいる。世界の頂点に立つような選手から、数年後を目指す育成過程の選手まで、国内から選ばれたエリートであり、彼らこそがスポーツ大国の原動力に他ならない。そして、スポーツ好きの国民性が、彼らへの援助を惜しまない。

国からでる年間予算は、約8000万豪ドル(約56億円)、これに独自に集めたスポンサーからの基金によって運営され、ここ数年は総額1億3500万豪ドル(約94億円)のオリンピック特別予算も組まれている。贅沢な資本のもと、各競技に海外からの強化コーチを招き、思う存分、選手強化や医科学研究に打ち込めるような強固な仕組みができている。

AISのアラン・イーツ広報担当は、「金メダル0に終わった76年のモントリオールオリンピックは、オーストラリアのスポーツ界にとって暗い時代だった。二度とそんな思いを味わいたくないという反省から、この施設ができた」と話す。その建設促進の先頭に立ったのがテニス・デ杯監督のニューカム氏や男子水泳監督のタルボット氏ら選手あがりの指導者だった。

選手の個人データも充実、医学のサポートは徹底している。さらにここの徹底ぶりは学齢期にある選手が多いことから近隣の学校と提携。寄宿舎から学校に通い、学業にも配慮し、成績が落ちると練習からはずされるというシステムを導入している点だろう。(以下省略)

★AISの紹介文2(1999年ある日の朝日新聞より引用)

AISが設立されたのは、1981年。歴史はそれほど古くない。現在の隆盛からは、ちょっと想像しにくいが、できたきっかけは豪州スポーツ界が極度の不振に陥ったことだった。

 メルボルン五輪で豪州は、水泳の金8個を含む金13個を獲得した。しかし、その後はじり貧。76年モントリオール五輪では、旧社会主義諸国の台頭で、ついに全競技を通して金ゼロに終わった。「何とかしなければ」。スポーツ界は強い危機感をもつ。テニスのジョン・ニューカム、水泳のドン・タルボットコーチらが先頭に立って政府に働きかける。その熱意が、当時のフレーザー首相を動かし、創設された。

開催年

開催地

1896 アテネ 2 0 0 2 2 0
1900 パリ 4 0 4 8 8 0
1904 セントルイス 0 0 0 0 0 0
1908 ロンドン 1 2 1 4 4 0
1912 ストックホルム 2 2 2 6 4 2
1920 アントワープ 0 2 1 3 3 0
1924 パリ 3 1 2 6 6 0
1928 アムステルダム 1 2 1 4 4 0
1932 ロサンゼルス 3 1 1 5 3 2
1936 ベルリン 0 0 1 1 1 0
1948 ロンドン 2 6 5 13 8 5
1952 ヘルシンキ 6 2 3 11 7 4
1956 メルボルン 13 8 14 35 22 13
1960 ローマ 8 8 6 22 17 5
1964 東京 6 2 10 18 11 7
1968 メキシコ市 5 7 5 17 10 7
1972 ミュンヘン 8 7 2 17 7 10
1976 モントリオール 0 1 4 5 5 0
1980 モスクワ 2 2 5 9 7 2
1984 ロサンゼルス 4 8 12 24 17 7
1988 ソウル 3 6 5 14 9 5
1992 バルセロナ 7 9 11 27 16 10
1996 アトランタ 9 9 23 41 23 17
2000 シドニー

 ○若い人材を発掘 障害者の競技も充実

 当初は、水泳のほか陸上、テニス、サッカーなど8競技の拠点としてスタートしたAISは、徐々に競技数を増やし、今では26競技をカバーしている。主な五輪競技はもちろんだが、野球や英連邦諸国で盛んなクリケットやスカッシュ、さらに障害者スポーツもひとつの競技分野として数えられているのが特徴だ。豪州は96年アトランタ・パラリンピックで開催国の米国に次いで、金メダル数で第2位の実績を残した。競技によってはアデレード、ブリスベーン、メルボルンなどでも活動しているが、中心はキャンベラ。65万平方メートルの敷地には、国際試合も開催可能な陸上競技場や屋内プールなど充実した施設がそろう。

 外国人のコーチも多い。競泳では旧ソ連のナショナルチームコーチだったゲナディ・トレツキー氏を93年に引き抜き、成果を上げている。飛び込みでは中国人、射撃ではイタリア、旧ユーゴスラビア、旧ソ連の3人のコーチをそろえるなど、各競技で世界トップクラスのコーチを招へいしている。

 AISは、毎年約600人の奨学生を受け入れる。奨学生になると、練習施設の利用はもちろん、プロコーチの指導、医科学サポートなどが受けられる。奨学生が練習と競技に専念できるように生活や勉強面でも至れり尽くせりだ。住居を移る場合には住まいを確保、勉強が遅れそうな場合は家庭教師までしてくれる。学生から社会人になるときは、練習が十分できる条件の就職先もあっせんする。

 AISとは別に、ニューサウスウェールズ、クインズランド、ビクトリアなど各州にもスポーツ研究所がある。AISと連携しながら、将来性のある若い選手を発掘している。五輪開催が決まった翌年の94年から96年までは、一般の学校に呼びかけて、生徒の身体能力を測定し、潜在能力のある子供を探すというプログラムも実施した。こうした組織の頂点にあるのが、豪州のスポーツの総元締めである豪州スポーツ委員会(ASC=Australian Sports Commission)だ。連邦政府から年間8400万豪ドル(約67億円、96年度)の資金供給を受けている。

 シドニー五輪やパラリンピック向けの特別強化を実施する「オリンピック・アスリート・プログラム」もいまはASCの主要事業のひとつ。94年に始まった6年間のプログラムで、総額は1億3500万豪ドル(約108億円)に達する。

 ○人口の35%、組織に参加

 豪州の一般の人たちは、スポーツとどうかかわっているのだろうか。

 豪州統計局が97年に発表したスポーツに関する調査によると、5歳以上で約580万人が、クラブなど何かの組織に入ってスポーツに参加している。少ないように見えるが、人口比で言えば、5歳以上の人口の35%にあたる。男性ではゴルフ、女性はエアロビクスがトップ。一方、お金をかけずに自分で気軽に楽しむスポーツとしては、夏は水泳、冬は自転車という一般的な姿が、調査から浮かび上がっている。

 5歳から14歳までの子供たちの間で最も人気があるのは、やはり水泳。しかし、女の子だけに限ると、「ネットボール」と呼ばれる競技が圧倒的な人気をもつ。バスケットボールと似ているが、体の接触が禁止され、ドリブルもできない。いわば「女性向けバスケット」で、日本ではほとんど知られていないが、英連邦諸国で行われている。

 見るスポーツで人気が高いのは、クリケットやオーストラリアン・フットボール(オージーボール)、ラグビーなどだ。

 オージーボールはその名の通り、豪州で生まれ、国技になっている。ラグビー場の3倍ほどもある広いだ円形のフィールドを使い、ラグビーと違ってボールをもたない選手にもぶつかれる。激しい体のぶつかり合いが魅力で、リーグ戦上位チームによるトーナメントの最終戦「グランド・ファイナル」は10万人の観衆が詰めかける。

 ラグビーも、ルールが日本と同じラグビーユニオンと、少しルールの異なるラグビーリーグの2種類がある。

 ヨット、サーフィン、豪州生まれのライフセービングなどマリンスポーツも伝統がある。欧米よりさらに多種多様なスポーツ文化をもつところが、豪州の大きな特徴かもしれない。

★その他の紹介文献


オーストラリアの水球事情 | Australia National Team

オーストラリアのスポーツ施設 | オーストラリアへの旅