大分県立芸術文化短期大学60周年
創立60周年のご挨拶
知事 ご祝辞
県議会議長 ご祝辞
創立60周年特別寄稿
芸短チャレンジ
創立60周年記念ページ特別企画 座談会
創立60周年記念ページ特別企画 座談会
創立60周年記念ページ特別企画 座談会
創立60周年記念 芸文短大ラジオ「大人エスプレッソTIME」
創立60周年記念 芸文短大テレビ番組「SWITCH!芸文短大」

寄稿「上野丘のよみがえる歴史」 名誉教授 吉良 伸一

2021.7.27更新

 1992(平成4)年、人文系2学科の増設とともに赴任しました。人文棟の玄関前にある見事な桜が私たちを迎えてくれました。この地にあった大分高商(現大分大学経済学部)の写真にもこの桜らしいものを見ることができます。人文棟の裏には大きな楠木があります。この楠木は大分高商時代からあったもののようです。敷地の南側の石垣も当時のままのようです。時折訪れる大分高商や大分大学の卒業生の方々が懐かしそうに語ってくれました。

 さて、芸文短大周辺は古い歴史のあるところです。敷地の奥にある樹木に覆われた丘は百合若(ゆりわか)大臣塚と呼ばれる古墳です。百合若という若武者が蒙古襲来の時に大活躍するも部下の裏切りによって離島に置き去りにされ苦労の末に帰郷を果たすというお話で、室町末期の幸若舞の台本にも記されているようです。墳墓から甲冑が出てきたことから百合若塚と呼ばれたようですが、実際は前方後円墳の前方部が削り取られたもののようです。百合若伝説に関係した「まこも池」も残されています。近くに、古国府という地名がありますが、豊後国府が校内にあったのではないかという説もあって、拡張工事のときに遺構が出てこないかとヒヤヒヤしていたようです。

 近くの丘の上には大友氏城郭跡があります。正門前の道は古代からの道と伝えられていましたが、戦後発見された「府内古図」にも登場します。大友時代、府内のメインストリートの一つだったようです。この地図を元に90年代発掘が進められて大友宗麟の時代の遺構が次々に発掘されています。宗麟時代の大友館が発見され、戦国時代最大規模の大友庭園跡が再現されました。南蛮BVNGO交流館がつくられ、当時の様子をCGなどで体感することができます。遙か古に思いを寄せながら、もう一度芸文短大とその周辺を歩いてみませんか。

大分県立芸術文化短期大学 名誉教授 吉良 伸一(情報コミュニケーション学科)

写真左:大学正門前の桜、写真右:南蛮BVNGO交流館